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Journalism & Media Studies

カテゴリ:多摩探検隊( 112 )


1964年4月5日、町田市の商店街に一機の米軍戦闘機が墜落しました。「町田米軍機墜落事故」です。多くの被害を出したこの事故から半世紀が経過し、事故を後世に伝えようと、市民団体が平和像を製作しました。しかし、平和像の設置について、市側は維持管理が難しいなどの理由で拒否しました。今回は、「町田米軍機墜落事故」を巡る住民と自治体の複雑な思いを描きます。

by matsuno-lab | 2018-10-01 05:58 | 多摩探検隊

「私は何者であるのか…」-ある台湾人学徒の証言-(後編) 太平洋戦争末期、日本の戦況が悪化し、政府は学徒勤労動員を行いました。その対象は当時、日本の統治下にあった台湾からの留学生も例外ではありませんでした。中央大学に在学していた梁(りょう)敬(けい)宣(せん)さん(93)は、台湾人でありながら、日本人として戦争に参加しました。しかし、終戦後、中国人として「戦勝国」の人間という扱いを受けることになります。戦争を機に、日本と台湾の間で生きることになった梁さんは、「自分はいったい何者なのか…」という問いに一生苦しめられることになります。今回は、戦争に翻弄された元台湾人学徒の人生を追いました。後編では、終戦時の様子、愛する人との別れ、アイデンティティの葛藤、そして特別卒業証書授与までを描きます。

by matsuno-lab | 2018-09-01 01:11 | 多摩探検隊

「私は何者であるのか・・・」-ある台湾人学徒の証言-(前編) 太平洋戦争末期、日本の戦況が悪化し、政府は学徒勤労動員を行いました。その対象は当時、日本の統治下にあった台湾からの留学生も例外ではありませんでした。中央大学OBの梁敬宣さん(93)は、台湾人でありながら、日本人として戦争に参加しました。しかし、終戦後、中国人として「戦勝国」の人間という扱いを受けることになります。戦争を機に、日本と台湾の間で生きることになった梁さんは、「自分はいったい何者なのか…」という問いに一生苦しめられることになります。今回は、戦争に翻弄された元台湾人学徒の人生を追いました。前編では、梁さんの生い立ち、勤労学徒時代の生活、そして終戦までを描きます。

by matsuno-lab | 2018-08-01 01:01 | 多摩探検隊

後編では異文化交流を経て、町民の外国人観光客への印象の変化を描きます。

by matsuno-lab | 2018-07-01 00:01 | 多摩探検隊

福井県高浜町。国際認証を取得した観光地があるのにもかかわらず、この町は観光客不足に悩んでいます。高浜町の住民たちは外国人観光客の受け入れを過度に身構えていました。そこで中央大学の中国人大学院生が中国語のプロモーションビデオを制作するため、高浜町を訪れました。1週間の異文化交流を経て両者の印象はどのように変化するのでしょうか。前編では中国人留学生から見た高浜町を描きます。

by matsuno-lab | 2018-06-01 00:01 | 多摩探検隊

朝鮮戦争休戦間近の1953年6月18日、立川基地から飛び立った米軍大型輸送機グローブマスターが、現在の小平市に墜落。当時航空機事故史上最大の死者を出しました。多摩探検隊(第102回)で、同事故について取り上げ、番組サイトで配信を開始したところ、いくつかのコメントが寄せられました。コメントを辿っていくと、最終的に、アメリカに住む遺族の方々にたどり着きました。今回は、アメリカでの取材を踏まえ、米軍立川基地グローブマスター機墜落事故を、遺族の視点から見つめ直します。

by matsuno-lab | 2018-05-02 01:32 | 多摩探検隊
JR中央線と京王線が合流する高尾駅のすぐ近くに、戦跡「浅川地下壕」がある。この浅川地下壕は、かつて東洋一と呼ばれた軍用機メーカー、中島飛行機株式会社の秘密地下工場として使われた。日本最大級の地下壕を短期間で掘削した本土決戦前の異常なエネルギーと、その浅川地下壕を保存しようとする人々の思いに迫る。


by matsuno-lab | 2018-04-02 07:21 | 多摩探検隊
 2016年5月26日。日本最高齢のゾウはな子が69歳で永眠しました。はな子は、子ども達からの要望に応えて、敗戦後、日本に最初にやってきたゾウです。その存在は、多くの日本人に癒しと笑顔を与えました。しかし、ある出来事をきっかけに、はな子は「人殺しのゾウ」と呼ばれ、前後の足を鎖でつながれ檻に閉じ込められることになったのです。今回は、この1頭のゾウの波瀾万丈な物語に迫りました。



by matsuno-lab | 2018-03-01 00:01 | 多摩探検隊

1943年10月、多くの日本人学生が出陣しました。いわゆる、「学徒出陣」です。しかし、日本人学生の他に、当時日本の統治下にあった朝鮮・台湾からの学生によるもう一つの学徒出陣がありました。彼らは「特別志願兵」として募集されましたが、「志願」とは表向きであり、実質的には半ば「強制」でした。現在ソウル在住の中央大学OB、 さん(93)も志願を強要されました。後編では、終戦後の生活、アイデンティティーの葛藤、そして平和への想いを描きます。

by matsuno-lab | 2018-02-04 20:44 | 多摩探検隊

1943年10月、多くの日本人学生が出陣しました。いわゆる、「学徒出陣」です。しかし、日本人学生の他に、当時日本の統治下にあった朝鮮・台湾からの学生によるもう一つの学徒出陣がありました。彼らは「特別志願兵」として募集されましたが、「志願」とは表向きであり、実質的には半ば「強制」でした。現在ソウル在住の中央大学OB、黄敬(ファンギョンチュン) さん(93)も志願を強要されました。前編では、黄さんの中央大学での思い出、志願強要、農耕勤務隊員としての生活、そして、終戦までを描きます。

by matsuno-lab | 2018-01-01 00:01 | 多摩探検隊

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